2019-06-18 第198回国会 衆議院 安全保障委員会 第10号
まずちょっと誤解のないように言っておきますけれども、中国というのは古来より最も重要な隣国だと思いますし、この委員会室の多くの先生方と同じように、私も日中友好議連にも所属をして中国にも訪問しておりますし、地元愛知でも、名古屋総領事館とか地元の日中友好協会を通じて中国の皆さんとの関係というのは大変大切にしております。
まずちょっと誤解のないように言っておきますけれども、中国というのは古来より最も重要な隣国だと思いますし、この委員会室の多くの先生方と同じように、私も日中友好議連にも所属をして中国にも訪問しておりますし、地元愛知でも、名古屋総領事館とか地元の日中友好協会を通じて中国の皆さんとの関係というのは大変大切にしております。
一方でやはり、例えば私の地元でも日中友好協会というのがあって、本当に仲よく日中両国でやっていこうよということを、多分この委員の皆さんみんな、そういう御地元を抱えていると思いますけれども、経済と安全保障が一体化してきているということ。
○渡辺(周)委員 日本政府としては、お越しいただけないのでしょうか、それぞれの被災された地域にも日中友好協会があって、どの自治体も中国とは姉妹都市提携を結んだり、さまざまな人的交流、文化的交流を行ってきた、そういう意味では、年に一遍、その国がいろいろな考えがあるにしたって、この日ぐらいはぜひ来て、国を代表する方にやはり献花をしていただきたい、そういう要請もしないんですか。
私は、議員に当選させていただきまして、この点につきまして、農水省様の関係者の方とずっといろいろと、これを早く何とかしてくれないかと議論させていただきましたし、またあるいは、去年、野田毅先生を団長に、中国の方に行ってまいりまして、トウカセン日中友好協会会長様にも、どうか米の輸出を解禁してほしいと直談判しましたところ、新潟産のコシヒカリで食べるおかゆが一番の大好物だ、すぐに関係部署に私の方から言っておくというようなこともおっしゃっていただいたわけでございますけれども
私の地元の大分でも、大分県日中友好協会、大分市日中友好協会、毎年交流事業をして活発に取組が行われています。私の先輩の方も毎年中国に行って植林活動をされておられるということがあります。いずれにしても、どういう状況があろうとも、もう切っても切れない関係になっていると、そのことは踏まえる必要があると思います。
実は、ことしの一月の十一日から十三日まで、日中友好協会会長を務める自由民主党の加藤紘一衆議院議員に同行させていただきまして、この尖閣問題で前面に出てこられました中国の戴秉国国務委員や元駐日大使の武大偉朝鮮半島事務特別代表と会談をさせていただきました。武大偉さんは、今、六カ国協議の特別代表もされています。 戴秉国さんにお会いしたときに戴秉国さんはこういうことを言われていました。
私、日中友好協会の会長にあのときなったものですから、そういうこともあってちょっと行ったんですが、その二日前に中国外務省に行きまして、武大偉事務次官に会って、この人は北朝鮮をめぐる六者会談の座長なんですね。いろいろ話を聞きました。おもしろかった。旧来の友人なものですから、率直に裏話もしてくれた。
といいますのも、毎年大体どうも二千人ぐらいの中国の高校生の方を招聘されているようなんですけれども、この招聘されている事業の中で、入札して平成二十二年度の委託先が決まったようなんですが、一つが財団法人日中友好会館、これが五百五十名、もう一つが財団法人日本国際協力センター、五百五十名、また、社団法人日中友好協会、これが六百名、社団法人青年海外協力協会というところが六百名というふうに伺っております。
それで、八年九月の七日、私は日中友好協会の会長になったということもあって、中国に行って、北京に行って胡錦濤と一時間話をしました。そのときに私は、二日前に武大偉という六者会談の代表と、あさって胡錦濤さんと会うんだけれども、これから迫り来る国際金融の混乱にどう対応しようかみたいなちょっと専門的な質問をしたいと思うので、外務省の方からブリーフィングペーパーを胡錦濤に上げておいてくれと言いました。
私は、井出正一さん、この前も申し上げましたけれども、皆さん御存じだと思いますが、非常に立派な方です、長野県日中友好協会の会長さんともちょっと話をいたしました。そうしたら、この件について近々雑誌に投稿されたのが載るそうですけれども、そういったところで、中国に優しい、親愛の情を持っている人たちが、その観点からちょっとと言ってしかるべきだと思うんです。
日中友好協会というのがあります。私の尊敬する井出正一さんがずっとその会長を務めておられる。私は大体正月なりの会合に必ず行っています。中国に対して敬意を払ってやらなければいけない、それは常に感じています。 それで、そういう気持ちがありますから、聖火リレー、八百人を超えるボランティアの登録がありました。
私のつながりは、一般の政治家がやる日中友好協会ではなくて、実は全人代の常務委員会が私の窓口でありました。当時、経団連の日中関係の協議会がありまして、稲山嘉寛さんが会長をしておりまして、そして冷凍食品中心に商業部といろいろ交流をしておりました。
日本の新聞は、唯一読むのを認められたのは日本と中国という日中友好協会が出している新聞で、私の読んだ日本の小説などは、日本人の先生からひそかに貸してもらって、みんなの前では読んではいけないから、夜、みんなが寝静まった夜、大学、全寮制ですから、大学のトイレに入って、トイレの照明が非常に暗いですから、机の上にいすを乗っ掛けて、そのいすに座ってもう読んでいたわけですよ。
そのとき北京空港に私たちを迎えてくれたのは、後の日中友好協会の会長になられました孫平化先生でございました。この孫平化先生が空港で我々を迎えると同時に、日中金の橋について語られまして、この二つは、金の橋には二つの大きな意義があるんだと。一つは、この金の橋の両側にゲート、門がない、いつでも自由に行き渡ることができる金の橋が今架かったんだと。
政府が何もしないから、一九五三年には、赤十字を初め日中友好協会など民間の団体が二万二千人の残留邦人を帰国させました。これが一九五三年であります。このときに三千人の孤児たちがいるという情報も伝えられ、このときにもし政府が全力を挙げて孤児たちを救出するということをやっておれば、十歳前後で帰国するわけですから、日本語も覚える、いち早く普通の日本人と同じような生活ができたと思うんですね。
この前、実は日中友好協会で三十周年で各超党派で議員団で行ってきまして、そうしたら私は、北京の大学生三人と、女性一人と男性二人で話をしたんですよ。それで、これからあしたからの双十節で十日休みになるけどどうなのと言ったら、勉強するのが大変で、休みはそんなにのんびりできませんと。それで、どれだけ遊ぶ時間を作るかと一生懸命考えているんですと、こういう話なんですよ。
もしこういう方々に調査協力費として払ったということであれば、この団体の中から自分たちの情報を国に提供するということで、スパイのような、非常に団体の中で混乱が起きるわけで、現にこの名前の挙がった団体からも、ロシア協会と日中友好協会の責任者は、そうした協力者は存在しないし、平和交流の市民団体を監視対象にしていること自体異常で、公安庁に抗議すると述べているわけなんです。
日中友好協会の副会長ぐらいですよ。ところが今、国会議員が行っても民間の人が行っても、ナンバーツー、ナンバースリー、ナンバーフォー、こういう方々がみんな対応してくれている。ですから、向こうも何とかいい方向にという形の姿が見えるわけであります。 一つ驚いたことには、日本に朱鎔基さんが来たときに、民放のテレビに出て国民と対話をしたということ。これは二十年、三十年前では全く考えられないことですね。
私は中国が大好きで、私の生まれた町で長く日中友好協会の会長を務めております。何度も訪中をし、国の指導者とも何回もお目にかかっておりますが、気になることは、先ほどの石井議員も指摘をされておりましたが、中国の国防費が年々ふえていることで、ここ十年間、毎年一二、三%平均の伸びを示していることであります。 九八年度の予算も約九百十億元、日本円に直しますと一兆三千六百億円ぐらいになっている。
あのときは廖承志さんだったか、日中友好協会の副会長さんに私がこういうことを言ったんです。いや、僕は北京に行って非常に残念だったと。それはなぜかというと、高速道路をどんどんつくっておられるけれども、北京城の城壁を破壊してみたり、いろんなものをどんどん破壊してつくっておるんじゃないかと。北京とか南京もそうですけれども、あれは世界の文化遺産ですよ、何も中国国民のものじゃないんだと。